ここはグーグル・マップの「スクォッター3」にあたります。
今回は住民の取材ではなく、復興するスクォッターの様子をご覧ください。 この写真の様子から水害で残った家屋は約3分の1程度だと思われます。 壁をふさぐ等の修復した跡が見られます。 水辺に向かって続いていたはずの家屋が流されています。ここでも自動車道に面した入り口の家屋は残っています。2人の少年にご注目ください。 どうやら、ここが玄関になっているようです。(^-^;) 多くの家屋が壁を失っています。 手前の壁のない家屋にも人が住んでいるのが見えます。 柱だけが残っている訳ではなくて、新しく建て直す過程でしょう。 壁のない家屋が延々と続きます。 今は乾期ですが、また雨期がやってきます。こうして廃材で修復した家屋に再び災害が襲います。 廃材を集める大人たちと仮の住まいと思われる小屋が見えます。 こちらはかなり修復できているように見えます。働き手の男性たちが頑張ったところはこのように修復作業も早いようです。 奥の上にチラリと自動車道が見えます。この先、ここも再び水辺へ向かって家が継ぎ足されていくはずです。 もともと人間の営みとはこうしたものかも知れません。壊れたら直すの繰り返しであり、そういう意味では大変に機能的な家屋なのかも知れません。 このように多くの子供たちが親の手伝いをしています。廃材でここに家を建てる最中でしょう。 ここも同様ですが、掘ったて小屋で生活していることが分かります。 雨期までに家が建つといいのですが・・・。 これから集めた廃材で柱を組もうとしています。家族全員で力を合わせるために意外と微笑ましい光景です。(^-^) 大人の指示に従って仕事を手伝わされていた子供たち。遠くに前回取材した橋が見えます。 私の訪問で仕事は一時中断。 ようやく調査の半分くらいをご紹介いたしました。しばらくホームページの編集などもしたいので一時このブログは中断することになるかも知れません。m(_ _)m #
by asian101
| 2010-04-09 03:13
ここはグーグル・マップの「スクォッター2」にあたります。
前回の対岸(河の西側)に当たり、ここは政府による立ち退き等はありませんのでここの方々は移転することもできません。大体、現在の状況は政府による取り壊しがなくても似たようなものだと分かります。洪水により破壊されたまま、ようやく徐々に家を立て直す準備に掛かろうかという段階でしょう。 今現在ここにいる方々に取材は可能ですが、実際に家を奪われたり亡くなられたご家族のお話はもはや聞くことはできません。 河岸へと降りる階段です。比較的こうした入り口部分は被害が少ないため、自動車道からはなかなか被害を目で確認することは難しいのです。 こうした被害家屋はまず解体し撤去してから建て直すことになります。 まだ状況がそこまでいっていないことが分かります。 対岸の様子です。橋の下に暮らす家族たちがいたところです。ここから見る限り強制的に取り壊されている家屋は橋の袂のほんの一部であることが分かります。その他の空いた空間は洪水の後、そのまま未だに建て直しが進んでいないようです。 この画像と台風前の画像を見比べていただきたいのですが、大半の水辺にあった家屋が根こそぎ無くなっています。家屋の半分だけが残り、壁を失い部屋がのぞいている家屋が少なくありません。 顔が似ているため写真を見ながら改めて名前を確認して気がつきましたが、この一帯は全部親戚のようです。丁寧に名前と住所を書いて下さったのですが、肝心の私の質問に答えていないようで結局、親族のスナップ写真になってしまいました。(^-^;) 決して一般的とまでは言えませんが、スクォッターの中にはこうして親族で固まって暮らしていることが少なくありません。 このお父さん、子守りのために出て来れなかったようです。フィリピンは本当に子供を大切にしています。 最も水辺に近い一帯です。多くの家屋が流されてしまっていることが分かります。 右側にいるお母さんたちに取材しています。 この方々も同様にせっかく取材できたのに肝心の質問にはお答えいただいておりません。 熱心にお名前と住所を書いておられるのですが・・・。 なんだかこの地域の方々は私の訪問を勘違いされていたのかなぁ・・・。 住所と名前を書いて下さってます。ここでも年頃の女性が顔を隠しているのですが、フィリピンのマスコミの影響とかもあるのかも知れません。フィリピンのテレビでは日中から日本の深夜番組のような華やかなショーステージでセクシーな若い女性が踊っている姿が放映されています。 取材に関してですが、名前はニックネームで構わない、もし、質問に答えなくてもそれでいいといった具合です。ですから、写真だけで名前のない方も中にはいらっしゃいます。 今回はこの辺で・・・。 #
by asian101
| 2010-04-08 04:02
これは前回の小屋の中にいた少年たちのご両親。改めて当時のメモを読み返してみると前回ご紹介した橋の下に暮らす家族同様、この方たちもCaluag Laguna(恐らく地名だと思うのですが場所が確認できません)という政府が用意したアパートに引っ越すことが決定しているようです。話によるとリザール州のかなり遠い場所ということしか分かりません。一度その引っ越し先も取材してみたいとは思いますが、私もそこまで余裕はないかも・・・。
今欲しいものは「医薬品」と答えています。このオンドイ台風の直後、多くの世界的な巨大企業が義援金を募集していて、それを見た私は自分の出る幕などないだろうと勝手に判断していました。 ヤフーやグーグルなどの企業です。 このご家族も全く同じく「医薬品」と答えています。また、政府のアパートに引っ越すことが決定しているようです。 美人の奥さんとボサボサ髪のご亭主。印象的なご家族です。(^-^;) 橋の反対(北)側に住む一家です。上が子供たちで下がご両親です。 若い女性が顔を隠していますが、どこでも年頃の女性はこんな感じです。 この辺りから私がNGO関係者だと分かり、彼らも個別に答えないでご近所の方々と話し合うようになってしまいました。そのためその回答がほとんど同じようになってしまい、私としてはこれで良かったのか分からなくなります。やはり今必要なものは「医薬品」と答えています。 ここは日本の三畳にも満たない小屋の中です。元々の店子がどなたかは分かりませんが、その他の方々は家を流されて住まいがなくなった方です。フィリピンではこのように「助け合い」が徹底しています。一見自由奔放に見える彼らですが、決して「個」で存在していることはありません。 ここはメモを見ると30名の方の名前が列記されています。その中の一枚です。30名の方々が現在の不満を述べられるものですから、ある意味収拾がつかなくなってしまいます。皆さんが遠く離れた政府の用意したアパートへの不満。現在の衛生状態の悪さなどを口にしています。 しかし、そのアパートに引っ越すことに反対なのかを聞くと判然としない。ここでは暮らしてはいけないが、引っ越すとマニラから遠く離れてしまい子供の教育、現在の仕事に大きく影響してしまう。 また先の義援金などがこうした引っ越しに使われているならば、では彼らの「今」をどうやって助けるのだろうといった具合に私たちの問題として跳ね返ってきます。 奥の方には一部の旦那たちもいるのですがギャンブルをしていたらしく、写真はNGとのこと。 女性はよくビンゴゲームをしていますが、男性は普通にトランプゲームだったように思います。 台風の後、水が引かずに2ヶ月間に及び教会や学校で避難生活を余儀なくされたようです。当時の様子を聞くと多くのご家族がその間、自動車道の脇で生活をしていたそうです。 今は「医薬品」が必要と誰もが答えました。フィリピンの医薬品は決して安くはありません。よく錠剤1カプセルずつ小分けに販売したりしています。風邪の錠剤(ビタミン剤)1カプセルで40円とかします。 こうした子供たちの笑顔がなかったら私も取材を続けられなかったでしょう。 言わば私にとっての救いでした・・・。 #
by asian101
| 2010-04-06 18:59
お名前は聞いているのですが、なぜこのような状況になっているのかよく理解できません。
大抵、フィリピンでは家がなくても遠い親戚の家に同居するなど一般的に見られ、この家族のように家屋もなく橋の下で暮らすというのは大変に珍しいと言えます。 父親は働きに行っているのでしょう。 いい表情をしています。一目で家族だと分かります。(^-^) 本当にいい表情です。 これが家財道具一式のようです。去年の台風からもう半年になろうというのに・・・。 こちらは橋から5メートルばかり離れた所。この写真の左側にパンします。 同じ場面です。小屋の中に子供たちがいるのが見えるでしょう。 実は中にこれだけの子供たちがいました。 フィリピンの方は一般に肌が触れ合うことに慣れています。 同様の小屋の中を覗かせてもらいました。 こうした光景をフィリピンではよく見かけます。日本でも戦時中などシラミがいた訳です。 今回はここまで・・・。正直、この辺りは取材を始めたばかりで不慣れなことはありましたが、多くを重ねるたびに私も気が重くなっていきました・・・・。 #
by asian101
| 2010-04-05 20:29
これが現在の様子です。ここはグーグル・マップの「スクォッター1」にあたります。
ようやく本題に辿り着きました。(^-^;) 実はここまで破壊されているのには訳があり、この一帯は去年の台風前から橋の拡張工事のために一部の地域に限定して形で半ば強制的に立ち退きを命ぜられていました。今回の台風被害とともにその地域がもっと広げられ、今ここに残っている方々は就職や子供の学校の問題などでここから離れられない方々です。 フィリピンには例え違法でもある一定の年月居住していれば居住権が発生し、合法となります。これは例えそこが個人の私有地でも、です。それを立ち退かせるためには、それと変わる住まいを権利者が用意しなければなりません。今回、この立ち退きに際してもフィリピン政府はそのアパートを用意しています。ただ、場所がマニラから遠く離れてしまうため住民たちは不満に思っています。 しかし、ここは既に水道とかは止められているようですから、住み続けるには相当の覚悟が必要でしょう。立ち退きが実施されているのは橋の掛かった左右25メートルぐらいの地域でしょうか。 左側に新しい橋が見えます。例え家屋を壊されてもバラック小屋に住み続けている家族も少なくありません。右側にそうした小屋が映っています。 このように土地をならしています。立ち去った方々の情報はあまりここの方も知らないようです。 このように一軒だけ取り残されて住み続けるのも見るからに危険です。スクォッターの住居は寄り添ってないと強度も落ちてしまいます。 日常の生活品が外に置かれています。きちんと毎日洗濯をしています。 立ち退き区域以外はこのように徐々に復興しつつあります。 現在で3分の1程度が立て直されているでしょうか。 よく家の一部屋だけが残り、そこに住み続けている家族を拝見しました。 家の復元のペースは早そうですね。この辺り一帯は水に流されたはずですから・・・。 こんなところに教会があるとは思っても見ませんでした。 屋根は残っていますが壁はなく、吹きさらしの教会です。神父さんとかの姿はありません。 調査した方全員の名前をお聞きしています。しかし個人情報のため公開しないことにします。 私が彼らに聞いたことは「今現在、何が欲しいですか」あるいは「今何をしたいと思いますか」といった質問でした。 左の少年は腕を骨折しているようです。 この地域には井戸があったということは発見でした。他の地域にはまず見かけません。 これで当面は生活していけるでしょうが、一般的な水道と比べると不便でしょう。 #
by asian101
| 2010-04-05 02:28
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